北京オリンピックへの長く険しい道のり2

負け続け(まけつづけ)たり、自信(じしん)を失っ(うしなっ)た男子(だんし)バレーの選手たち(せんしゅたち)の「やる気(やるき)」を再び(ふたたび)引き出す(ひきだす)ことは並大抵(なみたいてい)のことではありません。「どうせ俺たち(おれたち)は」のように、自分たち(じぶんたち)で力(ちから)を決め(きめ)てしまうのですね。その自信(じしん)を北京(ぺきん)オリンピックの枠(わく)を獲得(かくとく)させるために、どのように取り戻さ(とりもどさ)せるのか、難しい(むずかしい)仕事(しごと)だったと思い(とおもい)ます。有名(ゆうめい)なところでは、プロ野球(ぷろやきゅう)の阪神タイガース(はんしんたいがーす)は少し(すこし)前(まえ)までは優勝(ゆうしょう)なんて程遠い(ほどとおい)チームでしたよね?それが野村(のむら)監督(かんとく)がチーム力(りょく)を底上げ(そこあげ)したこともありますが、星野監督(ほしのかんとく)に変わっ(かわっ)てから驚く(おどろく)ほど強く(つよく)なりました。元々(もともと)の資質(ししつ)は、プロ野球(ぷろやきゅう)選手(せんしゅ)ですからみんなあります。なのに、なぜ弱かっ(よわかっ)たのか。そしてなぜ強く(つよく)なったのか。それはやはり選手(せんしゅ)に自信(じしん)をつける、ということだったと星野監督(ほしのかんとく)は話(はなし)していました。「俺たち(おれたち)は強い(つよい)。勝て(かて)る。」こう思わせ(おもわせ)ていくことで、チームは驚く(おどろく)ほど強く(つよく)なりました。もちろん、それは選手(せんしゅ)とのコミュニケーションや監督(かんとく)とコーチの強力(きょうりょく)なタッグがあってのことです。全て(すべて)のバランスが噛みあっ(かみあっ)て、強力(きょうりょく)な選手(せんしゅ)補強(ほきょう)をしなくても阪神タイガース(はんしんたいがーす)は強く(つよく)なったのです。まず植田(うえだ)監督(かんとく)は徹底的(てっていてき)に選手(せんしゅ)を鍛えあげ(きたえあげ)たそうです。身体面(しんたいめん)では、選手(せんしゅ)がけいれんを起こす(おこす)ほどの過酷(かこく)な練習(れんしゅう)をおこないました。そして、メンタルの面(めん)では甘え(あまえ)を許し(ゆるし)ませんでした。負け(まけ)ても笑顔(えがお)の選手(せんしゅ)や、全日本(ぜんにほん)という看板(かんばん)を背負う(せおう)にふさわしくない選手(せんしゅ)は、起用(きよう)をやめました。あのパナソニックの山本(やまもと)選手(せんしゅ)でさえ、しばらく全日本(ぜんにほん)には呼ば(よば)なかったほどです。そのような指導(しどう)方針(ほうしん)は徐々に(じょじょに)実(み)を結び始め(むすびはじめ)ます。1年目(ねんめ)はアジア選手権(せんしゅけん)優勝(ゆうしょう)。2年目(ねんめ)は世界選手権(せかいせんしゅけん)ベスト8という目標(もくひょう)はクリアできました。そしてワールドカップを経(へ)て、4年目(ねんめ)の今年(ことし)、ついに北京(ぺきん)オリンピックへの切符(きっぷ)を男子(だんし)バレーは16年ぶり(ねんぶり)につかんだのでした。

男子バレー 北京オリンピック

負け続けたり、自信を失った男子バレーの選手たちの「やる気」を再び引き出すことは並大抵のことではありません。

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