植田ジャパン
最初(さいしょ)に「○○ジャパンというのは好き(すき)ではない」と書き(かき)ながら、タイトルに使っ(つかっ)てしまう私(わたし)って・・・(汗(あせ))。北京(ぺきん)オリンピックの最終(さいしゅう)予選(よせん)メンバーの紹介(しょうかい)はしましたが、男子(だんし)バレーと言え(といえ)ば植田(うえだ)監督(かんとく)!女子(じょし)バレーと言え(といえ)ば柳本(やなもと)監督(かんとく)!監督(かんとく)の存在(そんざい)を忘れる(わすれる)ことはできませんよね。そこで植田(うえだ)監督(かんとく)のことも少し(すこし)述べ(のべ)ておきます。監督(かんとく)は新日鉄(しんにってつ)(現在(げんざい)の堺(さかい)ブレイザーズ)でプレーをしていました。センタープレイヤーとして活躍(かつやく)していて、私(わたし)もテレビで拝見(はいけん)したことがあります。頭脳(ずのう)派(は)、というイメージでしたね。そしてバルセロナでは男子(だんし)バレーの主将(しゅしょう)としてオリンピックに出場(しゅつじょう)しています。そこから16年間(ねんかん)男子(だんし)バレーはオリンピックから遠ざかっ(とおざかっ)ていたのです。現役(げんえき)を退い(しりぞい)たあとは、やはり所属(しょぞく)チームであった新日鉄(しんにってつ)を監督(かんとく)として率い(ひきい)ています。堺(さかい)ブレイザーズに変更(へんこう)されたあとも、監督(かんとく)としてチームを底上げ(そこあげ)してきました。その実績(じっせき)が認め(みとめ)られて全日本(ぜんにほん)に招か(まねか)れ、最初(さいしょ)はジュニア、そして2004年(ねん)からは全日本(ぜんにほん)の監督(かんとく)に就い(つい)たのです。結果(けっか)、今回(こんかい)の北京(ぺきん)オリンピックへの出場権(しゅつじょうけん)をとりました!もちろん、監督(かんとく)だけでチームを作れ(つくれ)るわけはありませんよね。コーチやトレーナー、マネージャーらによって植田(うえだ)体勢(たいせい)は整え(ととのえ)られます。植田(うえだ)監督(かんとく)が重視(じゅうし)したのが、データについてです。相手(あいて)チームの詳細(しょうさい)なデータをもとに、作戦(さくせん)をたてメンバーを決定(けってい)し、そして勝つ(かつ)!やはり現在(げんざい)ではデータが重要(じゅうよう)ですものね。北京(ぺきん)では敵(てき)となる海外(かいがい)の強豪(きょうごう)チーム。彼ら(かれら)はどんなチームなのでしょうか。次(つぎ)は、北京(ぺきん)オリンピックに参加(さんか)するチームについて少し(すこし)書い(かい)ていきたいと思い(とおもい)ます。
男子バレー 北京オリンピック
最初に「○○ジャパンというのは好きではない」と書きながら、タイトルに使ってしまう私って・・・(汗)。
男子バレー 北京オリンピック