北京オリンピックへの長く険しい道のり1
男子(だんし)バレーはオリンピックになんと16年間(ねんかん)も出場(しゅつじょう)できていません。1992年(ねん)のバルセロナ以来(いらい)、出場権(しゅつじょうけん)が獲得(かくとく)できなかったのです。それは暗黒(あんこく)の時代(じだい)でした。今回(こんかい)のチームを率いる(ひきいる)植田(うえだ)監督(かんとく)がまだ選手(せんしゅ)時代(じだい)、主将(しゅしょう)をつとめて出場(しゅつじょう)したオリンピックがバルセロナだったのです。そして荻野(おぎの)選手(せんしゅ)もチームにいました。それ以来(いらい)北京(ぺきん)オリンピックまで16年間(ねんかん)。本当(ほんとう)に苦しい(くるしい)時代(じだい)だったと思わ(とおもわ)れます。女子(じょし)のバレーも、「つなぐ」よりもパワー重視(じゅうし)になっていますが、それでもまだ男子(だんし)よりは「つなぐ」バレーが目指せ(めざせ)ます。しかし、男子(だんし)バレーは圧倒的(あっとうてき)なパワーの時代(じだい)になってきました。体格的(たいかくてき)にも比較的(ひかくてき)不利(ふり)な日本(にっぽん)をはじめとしたアジアのチームには、やはり欧米(おうべい)チームの背(せ)の高さ(たかさ)、力(ちから)の強さ(つよさ)はありません。そして手(て)の長さ(ながさ)やバネを使っ(つかっ)たパワーバレー。それになかなか対応(たいおう)できなかったのではないでしょうか。2004年(ねん)に監督(かんとく)に就任(しゅうにん)した植田(うえだ)監督(かんとく)は、男子(だんし)バレーのこの状況(じょうきょう)を危機的(ききてき)に捉え(とらえ)ていたに違い(ちがい)ありません。自分たち(じぶんたち)でオリンピック出場(しゅつじょう)を終わらせ(おわらせ)てはならない。外国人(がいこくじん)監督(かんとく)も考え(かんがえ)られていたその時(そのとき)に、植田(うえだ)監督(かんとく)は自ら(みずから)立候補(りっこうほ)されたそうです。負(ふ)の連鎖(れんさ)を断ち切り(たちきり)たい。そんな思い(おもい)だったのではないのでしょうか。惨敗(ざんぱい)したアテネオリンピック最終(さいしゅう)予選(よせん)後(ご)の日本(にっぽん)男子(だんし)バレーの建て直し(たてなおし)。誰(だれ)もがやりたいと思う(とおもう)仕事(しごと)ではありませんよね。それでも植田(うえだ)監督(かんとく)はなんとしてでも男子(だんし)バレーを北京(ぺきん)オリンピックへ行か(いか)せたい、その思い(おもい)だけで選手(せんしゅ)を引っ張っ(ひっぱっ)てきたのではないでしょうか。
男子バレー 北京オリンピック
男子バレーはオリンピックになんと16年間も出場できていません。1992年のバルセロナ以来、出場権が獲得できなかったのです。
男子バレー 北京オリンピック